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子どもが10ヵ月になった。毎日、一緒にハイハイしてボールを追いかけっこしている。
ボールを追いかけっこするときに、毎回大笑いしてしまう。私が「よーいどん」と言って、子どもと同じ目線の高さに並んでハイハイする格好になると、子どもも負けじと意気揚々とハイハイのポーズになる。元気いっぱいの男の子らしく、頼もしい。そして彼は必ず、一度立ち止まって、真横にいる私にアイコンタクトを送ってくる。その顔はまるで「ねぇ、今の音聞こえた?」と言って、私の注意を引き、競争から気を逸らせるかのような表情で、その表情を見て私が油断している隙に、彼は前だけを見て猛ダッシュする。このちっちゃい人、あたしを牽制しているのね!! その、猛ダッシュのときの、してやったり顔がとてもかわいらしく生意気で、一体この小さな身体のどこからそんな策略を練り出したのかと思うと、おかしくてしょうがない。だって去年の今頃はまだ、あたしのおなかの中にいたのに。今だって、身長75センチ程度なのだ。 この間は、ボールの追いかけっこの途中で、ボールを追い越してなお、猛スピードでハイハイを続けていた。おやと思って見ていると、真剣なまなざしで、三往復ほど独走の純ハイハイ。いつもの、してやられたりとは違って、初めて知る彼の個性!?(笑)を垣間見たような気がした。 スピリチュアルの江原さんが、子どもを産むということは神様へのボランティアと言っていたけど、本当にそういう感じだなぁと腑に落ちる。まったくお礼をもらおうなんて思っていないし、こちらはひたすら尽くすばかり。どう考えても、尽くされている子どものほうが位が高いような感じだ。ああ、ボランティアは続くよどこまでも。明日はどんなしてやられたり、が待っているのかしらん。
昨年の9月11日、ベースの英会話クラス(ESL)に出席していた。大きなおなかで、あと何回出席できるだろうかと考えながら。クラスでは予想通りに講師から911の話題。「あの日あなたはどこで何をしていたか」という質問が投げかけられ、私たちはひとりずつ答えた。
それをテレビで見た瞬間のことと、その夜のことと、その翌朝へと続くネガティブな興奮を私は忘れることができない。当時結婚していた私にとってはとても稀な、ひとりで過ごす夜であったから。前の夫はめったに出張のないフリーランサーの映像技術者だった。その彼が出張に出ていた。私はフリーランサーの雑誌ライターでいつもになく夜遅く仕事から帰り、いつものように何気なくテレビをつけた。 ESLのクラスの何人もが、それを「映画かと思った」と告げた。私もそうだった。 私はひとりでテレビの前で、たぶんぽかんと立ちつくしていたと思う。それからソファに座り直してテレビのチャンネルを替える。替えても替えてもその映像とニュースが流れており、現実に起こったことなのだと知った。翌朝は、これもまた稀だったのだが、早朝英会話クラスを取材することになっていて、私はたぶん朝7時半には取材先に到着しなければならなかった。だから早く寝なければならなかったのに、まんじりともせず夜を明かした。テレビをつけっぱなしにして。私にはニューヨークに知人はおらず、けれど何かとても泣きたいような祈らずにはいられないような気持ちを抱き(きっと世界中の人たちがそうだっただろう)、ざわざわと落ち着かない気持ちでいっぱいだった。煙草をたくさん吸ったかもしれない。いつもそばにいる夫がいないというのも、私を不安にさせた。翌朝の取材先の英会話クラスでも、その話題だけで一時間。 あの事件は海を越えて私にも影響しただろうか。たとえば、大切なひとのそばにいなければならない。というようなことを胸に刻むきっかけとして。あるいはその反対に、大切でない人のそばにいる必要はない、大切でない人のそばにいるには、人生はそんなに長くない、というような。 昨年の私は、あのときあの場所のきわめて近くにいた人と再婚し、あと数ヵ月で私たちの赤ちゃんも生まれようとしていた。5年という時間は、人の家族構成まで総取っ替えしてしまうのだ。私はいろいろな場所に転居し、失ったり得たり、別れたり出会ったりした。そして今年で6年。カレンダーを見ると、私の記憶には、かつて私が居た部屋と、赤いソファ、私が見たテレビの映像、その中のニューヨークが蘇る。あのテレビの中の、向こうの向こうのずっと向こうのほうに私の伴侶が静かに暮らしていたなんて。赤ちゃんの寝顔のような、何も心配を抱えない平和な顔が、世界中の人々にもたらされますように。 ここ数ヵ月、鵠沼で同じアパートに住んでいた女性(私の最も年長の知人)のことを考えている。涼しくなったら会いに行きたいけれど、彼女は生きてくれているだろうかと。
あたしの大好きだった洋食屋さん、キッチンベル。妊娠中に引っ越したのでそれっきり行ってなかった。1年を経て、ほかの用事のときに寄り道する計画を立て、夫と子どもと一緒に訪れた。
あたしは海老フライを楽しみにしていた。それにコーンスープも忘れずにね。アメリカ人の夫は「なんだっけ、大きいのと小さいのっていう意味の、僕はあれを食べたいな〜」と言うので、「ミニジャンボランチのこと?」「そう、それそれ!」みたいな会話をしつつ本当にワクワクしながらその駅に降り立った。あたしが最後に独り暮らしをしていた街。「赤ちゃん生まれたって知ったら、おばちゃんびっくりするだろうねー」なんて、るんるんしながら駅からのなだらかな坂道をくだる。最後に行ったときは、つわりの勢いで店内で眠ってしまいそうだった。そんな自分がベビーカーを押してあの店に向かっているなんて。「もうすぐだね」「あ。ラーメン屋さんなくなっちゃったんだね」まだあたしたちが三人じゃなくて二人だった頃の思い出をたくさん思い出しながら、のんびりと歩いて、あたしたちはキッチンベルの場所へたどり着いた。 そして、あたしたちが見つけたのはキッチンベルじゃなくて、とても悲しい現実だった。洋食屋のキッチンベルが、洋食屋のキッチンベルじゃなくなっていた。「中華まん ベル」になっていたのだ。頭を殴られたようなショックというのはああいうときの気持ちを言うのかもしれない。でも命に別状はないだけに、顔は、唖然という顔である。信じたくなかった。 生きている間に、人は純粋な「悲しい」という悲しみをどれほど味わうだろう。あたしはすごく悲しかった。純粋に。嫉妬とか恨みつらみとかじゃなく、悲しかった。もう二度とキッチンベルの海老フライが食べられないなんて。おばちゃんは元気そうだったからよかった。でもショックだったのであたしは顔も出さず。あたしは中華まんというものを食べたこともなく、食べたいとも思わないので、お店に入らなかった。ちなみにこれは中国での、中華まん段ボール事件の前の出来事だ。顔におぼえのあるスタッフの女の子(おばちゃんの娘かもしれない)に、おばちゃんが元気かだけ聞いて、ため息をたっぷりつきながら、言ってもしょうがないのに、「変わっちゃったんですね」って言って立ち去った。本当はなんで変わっちゃったの、って聞きたかったけどやめた。中華まん屋さんになるのが、おばちゃんの夢だったのかもしれない。 実はキッチンベルは、いつからかおじちゃんがいなくなって、おばちゃんが切り盛りするようになった。おじちゃんがどうしてお店からいなくなったのか、あたしは知らない。営業時間にしか行くことができないから、聞けないじゃない、一生懸命料理してるおばちゃんに。あたしはこの街に引っ越してから常連だったけど、昔からの知り合いとかじゃないしね。 おじちゃんがいるときにあたしと彼は初めて一緒に行った。それから、あたしの彼が半年間、インド洋に浮かぶディエゴガルシア島に赴任し帰国してから再び一緒に行ったとき、おじちゃんはいなかった。あたしの彼がどうしておじちゃんいなくなったの? と言うので知らないって言って、あたしたちはおばちゃんにおやすみを言った。お店が看板だったので、おばちゃんは余ったごはんでおにぎりを作っていて、それをあたしと彼にお土産にって、持たせてくれた。海老フライも美味しかったけど、おにぎりもおいしかったな。いつかおばちゃんの気が変わって、また洋食屋に戻ったらいいのにな。
毎日が猛スピードで跳んでいってしまってる。今月は、子どものハイハイ対応のため、引越しっぱなしだった部屋を、家具を新調して少しととのえた。そのために新横浜のIKEAに初上陸。その勢いで、夫の一年来の希望だった大きなテレビとステレオシステムも買った。これでアメリカのDVDも日本のDVDも、家のテレビで観ることができる。子どもが眠った後、サーフィン映画なんかを観ると、ストレッチでもして今にも海に飛び込みたくなる。何年かぶりに映画『Blue Crush』を観て、自分もサーフィンをしていたことをにわかに思い出す。パドルがしたい。あたしが、自分のサーフボードを買うとき黄色にしたことや、主人公と同じラッシュガードを買ったことなんかも鮮やかに思い出した。七月の初めの頃には、子どもを連れてベビー雑誌の撮影にも行った(採用になるかどうかわからない)。あの頃の元気だった自分が嘘のように夏バテ。
夫の船が出航していないため、夫が毎日家に帰ってくる。七月になってその生活にも少し慣れた。いつも夫が帰ってきて少しはその状況に慣れることができず、大気圏突破、的な精神的な摩擦とストレスをおぼえる。特にあたしと違うやり方で子どもに接したり、不注意な接し方をされると本当に腹が立つ。でも怒ったり、笑ったりしながら腹は立つけどあなたのことは愛していると言えるほどに、ニュートラルになってきた。 子どもの離乳食が1日2回になったことで、一日のほとんどの家事が、お料理、っていう状況になっている。これまで離乳食を毎日手作りをしてきたのがあたしのささやかな誇りなんだけど(凍らせて作り置きもしている)、毎回自分の分と子ども用の別メニューを作るのは本当に、料理研究家でもないあたしにとってはわりと知恵をしぼる仕事だ。大人のメニューから取り分けて作るには、子どもはまだ完璧にアレルギー食品チェックを済ませてないから困難だし、あたしが食べたいものは取り分けに不向きなことが多い。ペペロンチーニなんて、7ヵ月の子どもには無理。まだ小麦アレルギーチェックをしていないので、麺類はいっさいダメだし。焼き魚定食とか、えびフライとかオムライスとかも取り分け不可能。それに夫のものを作るときは、もう一組メニューを考えなければならない。あたしはシーフードを食べるベジタリアン、夫はミートラヴァーなのだ。今日も多くの時間を台所で過ごした。今日の晩ご飯は焼きそば。数少ない、一種類だけ作れば二人とも食べられるメニューだった。 七月の最後の日。あたしの記憶は、やきそばで締めくくられる。とここまで書いたところで、もう一つ特筆すべき珍事があった。久しぶりに子どもと湯船につかったんだけど、肩まで沈もうとしたところ夫のT字ひげ剃りが、湯船のふちに置いてあったのを背中で落としてしまった。何か痛いと思って立ち上がると(8キロの子どもを抱っこしている。子どもはあひるのおもちゃを吸っている)、湯船の底にT字の柄だけが落ちている。そしてまだ背中がひりひりと痛い。ということは……。自分の背中に何が起こっているか怖くて、浴室に鏡があるのに映してみるとかできない。唯一の救いは、湯船に血が垂れてなかったこと。半泣きで夫を呼び「背中に刃が刺さってる?」って聞いたら「うん」って平然と言う。抜いてもらって泣きながら風呂から出た(笑)。普通、刺さる?T字。しかも柄から抜けて刃だけ背中に残るなんて一生に一度あるかないか、っていうか、普通ないと断言してもいい。夫が家にいてくれて本当によかったと思った一件だった。もしいなかったら、最近習ったばかりの、ヨガの牛面のポーズのように、背中に腕を回して泣きながら自分で抜いたのであろう(笑)。ていうか、夫がいなければT字もなかったはずだ。 「あんなところにひげ剃りを置かないで」と夫にブチ切れたかったのだが、悪いことに置いたのがこのあたしだったから言えなかった。石けんたちと一緒に並んでいたので、子どもの手が届かないところにと、わざわざ移動させたがための悲劇。子どもが刃を握ったりしたのじゃなくて本当によかった、と、夫に、背中にハローキティーのバンドエイドを貼ってもらいながら言ったことよ。なんだかあたし、親らしいこと言ってるわって思いながら。
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